はじめに
平成30年6月13日,京都,神戸において,ゲームバー経営者が逮捕されたとのこと。
結構インパクトがあるニュースでした。
ゲームバーについて色々考えており,備忘の意味もあってまとめておきたい。
大して文献も調べずに思うことをメモ的に書いているだけです。
いつか,色々な文献を調べてちゃんと論文にでもできたらいいな。
ゲームバーに関連する著作権法の知識
コンピュータゲームは,「思想又は感情を創作的に表現したもの」(2条1項1号)と認められる限りで,著作権法上の「著作物」である。
販売されているほとんどのゲームは,よほどのクソゲーでもない限り,基本的には著作物に該当すると思って間違いない。
というか,クソゲーかどうかは著作物かどうかとは関係ない。だから,あのクソ過ぎる某ゲームだって,悔しいけど立派な著作物。クソゲーは誰もパクらないので保護の必要性があるかはともかく,逆の意味で創作的な表現だったりするのでやっぱり著作物。
コンピュータゲームは,「中古ゲームソフト事件」(最判平成14年4月25日)において,「映画の著作物」と扱うのが最高裁判例の見解。
ゲームが映画だと??と訳がわからなくなるが,著作権法でいう「映画の著作物」は,「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され,かつ,物に固定されている著作物を含む」とされている(著作権法2条3項)ので,劇場用映画に限らないことになっている。
ということで,最高裁によると,ゲームも「映画の著作物」。
イメージとしては,表示される画面に著作権があると捉えておけばOK。もちろんゲーム音楽にも著作権はありますが。
ゲームの本当の良さは,映画とは違うところにあると思ってしまうけど,とりあえず著作権法上は,ゲームは「映画の著作物」という扱いになる。
ゲームバーが違法というのは,バーによる「上映権」の侵害だと言われる。
貸与について頒布権の侵害という議論もあるが,主に問題視されているのは上映権なので頒布権の話はひとまず置いておく。
「著作者は,その著作物を公に上映する権利を専有する」(著作権法22条の2)。これが上映権の根拠となる条文である。
ここでいう「著作者」は,著作物を創作する者(2条1項2号)であり,任天堂,スクエニ,カプコン,バップ,サンテックジャパン,ヒューマンといったゲーム会社のこと。著作権者の持っている著作権をまとめているのが,一般社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)。だから,バーに対する警告は,ACCSから来る。音楽でいうJASRAC的なもの。
「公に」というのは,「公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として」という意味(22条)。「目的として」であって,聴衆が実際には1人もいなくても「公に」に該当するのがポイント。
「公衆」については2条1項5号に「特定かつ多数の者を含むものとする」と書いてある。要するに,不特定又は多数の者に対してであれば「公に」ということ。
上映とは,「映写幕その他の物に映写すること」であり(2条1項17号),ゲーム画面を映すことも上映という行為に該当すると言われている。
という行為を専有する,つまり,著作権者しかできませんよ,というのが著作権法22条の2。著作者と著作権者は似たようなものとして,違いはひとまず置いておく。
ゲームバーに関する考察
侵害主体の問題(誰が上映しているのか)
まずは侵害主体の問題。誰が上映しているのか。
バーのお客さんがプレイしているので,お客さんは上映してる。ただ,プレイしてるだけで不特定多数の人に対して「公に」上映してはいないので,上映権侵害ではないケースが多いだろう。
超巨大なお店で多数の人がいたり,不特定の人が出入りしまくっているお店だったらアウトになる可能性もある。
また,お客さんのプレイ自体は非営利,無料なので,上映だったとしても侵害にはならないという条文もある(38条1項)。
とすると,店側が上映していると扱われるかどうかが問題になるが,ゲームバーについては,プレイができる状態でお客さんに解放することは,不特定多数の人にゲーム画面を見せるというサービスを提供しているようなものなので,バー側は上映の主体に当たると考えられている。
じゃあどうしたらいいのか。どこまでなら許されるのか。
何故,店側が上映の主体だと判断されるのかという理屈を掘り下げて考える必要がある。
著作権法上,カラオケ法理という理屈がある。
クラブキャッツアイ事件(最判昭和63年3月15日)で,最高裁は,①物理的利用主体を「管理支配」し,②侵害行為によって「営業上の利益」を得ている者は侵害主体だと述べた。これがカラオケ法理。
要するに,クラブはお客さんを管理支配し,お金をもらっているんだから,お店はお客さんを通じて演奏しているんだ,だから著作権侵害だ,という理屈。
ただ,この最高裁の判断は一つの事例の判断なので,本当に一般化できる理屈なのかは見解が分かれる。
侵害主体が誰か。原則は物理的利用主体(お客さんのこと),でもそれでは具体的妥当性を欠くことがあるので,一定の要件でお店が演奏や上映の主体だと扱ってしまおう,という議論。
「営業上の利益」を得ている者だったらとりあえずアウト,というわけではないだろう。
なので,一定の営業上の利益があるにせよ,どこまでだったらお客さんを「管理支配」していると言えるのかということを深く考える必要がある。
カラオケ法理自体がおかしい,という人もいるけどね。
「公に」といえるのかという問題
ゲームバーが上映権の侵害だと言われるのは,不特定多数の客に対して,ゲームの画面を見せているからだと言われる。
ゲームの画面を見せているというか,ゲームをプレイさせたら画面を見ることになる,だから自由にゲームの画面を誰にでも見れるような状態にしていること自体が上映と同じなんだ,ということで,「公に」「上映」していると評価される。
これがもし,特定少数の者に対してしか見せない,ということであればどうなのだろうか。つまり,「公に」と言えなければ,上映権の侵害にならないということになる。
つまり,「このゲームはこの人にだけ」とかいう縛りを作ってみたらどうなるのか。
具体的には,「ゲームを売ります。買ってくれたらここでゲームしてもらっていいです。」とか「ゲームを売ります。買うかどうかの判断のために短い時間ならゲームしてもらっていいです」とか。ちゃんと古物営業法上の許可も取って売るためにプレイさせてたのでセーフになった,みたいなニュースはどこかで見た記憶がある。
つまり,購入した人ということが,特定少数の者に対してと評価されるのか。
どこまでならセーフなのか
まず,家庭用ゲームをプレイさせてお金をもらうのではなく,中古のゲームを売るという行為自体はセーフと言われている。
ちなみに,中古ゲームを販売するには古物営業法の許可が必要。結構簡単に取れるらしいけど。
今は中古ゲームは当たり前のように販売されているが,それは前述の「中古ゲームソフト事件」で適法とされたから。
最高裁は,中古ゲームソフトの販売自体が違法かどうかについて,著作権法による著作権者の権利の保護は社会公共の利益との調和の下で実現されなければならないところ,著作物またはその複製物について譲渡を行う都度,著作権者の許諾を要するということになれば,市場における商品の自由な流通が阻害されること,他方,著作権者は著作物または複製物を譲渡するにあたって譲渡代金を取得し,または使用料を取得でき,その代償を確保する機会は保障されている,ということを理由に,中古ゲームソフトを販売してもいいとされました。
要するに,中古品を売る度にメーカーの許可がないといけないとすると流通が阻害されるし,メーカーの側は新品が売れた時点で利益を得ているのでこれ以上メーカーには利益がなくてもいいでしょう,というのが理由。これは,著作権の「消尽」という問題についての議論。「使用料を取得でき」と書いてあるのは全然意識したことなかったけど,今考えてみると意味深に思える。
ただ,最高裁の言う,市場における商品の自由な流通が阻害される,ということも,何をもって自由な流通というのかなんて場面によって違うだろうし,一方的な価値判断に近いので,これは基準としては使うのは難しそう。
また,メーカーは既に新品の販売のときに利益を得ているから,という理屈も,「中古で売られることがわかっていたならそれを前提に価格を決めたのにぃ」というメーカーの都合は考えられていない。というか,メーカーが新品の価格を決める際に,購入者がどこまで利用することを考えて価格設定したのか,といった議論がメインになりそうな感じ。ということを,先日の著作権法学会の研究大会でも議論のメインテーマになっていたし,その通りなんだと思う。
じゃあ,上映権はどうなの?上映権は消尽するの??という議論もされている。
ラブホにプレステ2か何かの家庭用ゲームを置いて逮捕されたというニュースも見た記憶がある。
マヴカプ2のアーケード筐体であればよかったのにね。
ゲームバーについては,メーカーは新品を販売して利益を得たんだから,ゲームバーで家庭用ゲームを使われることも我慢しなさい,と主張する見解は少ない。というか聞いたことがない。
やはり家庭用と事業用は違うんだ,ということなんだろう。「金儲けに使うんだったらちゃんと高いやつ買ってくれないと困るよ」「家庭用を事業用に使われてしまうとたくさんの人が利用するので,みんなが家庭用を買ってくれなくなったら困る」というメーカー側の主張も理解しておかないといけない。
ただ,中古品を売ること自体は認められている。
なので,「ゲームを売ります。買ってくれたらゲームしてもらっていいです。場所だけは提供します。」というバーみたいなお店はどうなんでしょうね。もちろん,形だけ脱法的にするんじゃなくて,本当に売るという前提で。
モニターを置いておいて,持ってきたゲームをやってもいいですよ,というだけであれば,お店側が「公に」「上映」したとまでは評価されにくいとも思える。
この「公に」という要件については,もう少し詰めて今後も検討したい。
また,この場合,カラオケ法理のいう,お客さんを「管理支配」したといえるのか。
ゲームを売って,場所を提供しているので,一定の「管理」や「支配」というものがないわけではなさそう。でも,売ること自体は適法だし,それをお店の中でプレイさせたとして,誰にでもプレイさせる,というわけではなく,あくまで販売+ゲームをする場所を提供するというのであれば,誰でもプレイしてくださいという形態よりは「管理支配」の度合いは随分小さくなる。でも購入者自体は元々不特定多数者が対象。だからどうなんやろう。
最後に
いずれにせよ,今が旬の新しいゲームをバーに設置して「買わなくてもプレイできるからみんな来てね!」というのを売りにしてしまったら,やっぱりメーカーに怒られると思う。
レトロゲームとか懐かしいゲームはどうなんかな。メーカー側としてもダメージが大きくないか,そもそもダメージがないというゲームだってありそうだから,新しいゲームとは別の観点で考えて基準ができてもいいと思う。
なんにせよ,メーカーの利益もちゃんと考えて調整をしないと,ゲームバーの存続はなかなか大変そう。
現在生産が終わっているような懐かしいゲームとか,できる場所があると嬉しいんやけどなぁ。
整理せずにダーっと書きました。
色々調べるうちに,この記事の内容は変更したりするかもしれません。
ひとまずこの辺で。
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